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映画「GO」情報

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原作は著者・金城一紀が自身のコリアンジャパニーズとしての体験を基に執筆した青春小説。直木賞の受賞作である。映画化にあたり監督は行定勲、脚本は宮藤官九郎が担当。韓国の製作会社も参加し、両国同時期公開されている。

作品は高く評価され、多くの賞を受賞。→https://ja.m.wikipedia.org/wiki/GO_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)

プロデューサー趙「『GO』は日本映画でも韓国映画でもない、国境のない映画になって欲しいと思っている。この映画の成功により、民間の力で日韓の友好が進む形になって欲しい」

原作者金城「物理的にも哲学的にも軽々と国境線を越えられる、知識もあり、知力もあり、自分を守れる武力もあるバランス感覚のあるキャラクターを意識して描いた。」

(製作発表会見)

キャスティング
桜井については、原作者の金城が「映画化する際の桜井は柴咲コウ」と最初から柴咲をイメージしており、まさにその通りのキャスティングとなった。

スタイリング
杉原が元秀と再会するシーンの元秀のセリフ『資本主義の象徴みてえなナリして』『すっかりピヨって腰でジーパンはいて・・・』を読んで「これオレの普段着じゃん」と思ったという窪塚は、素に近いところで演じたいという思いもあり、杉原の衣裳を自前で用意した(制服や民族学校時代を除く)

脚本の魅力
監督「見せ場、構成ともにうまい。原作から流れをうまくとってキャラクターを強めてる。セリフ回しは宮藤節だけど、ストレートでしっかりとした脚本だと思った。」

宮藤「脚本を依頼された時点で窪塚さんの主演は決定していたので、彼の演じる杉原を イメージして書いた。『在日』ということを現実の一つとしてさらっと描こうと思った。国籍の問題ばかり前に立つよりいろんな人達がそこに生きているということを描くことを一番に考えた。」

山崎「原作がいい、脚本がいい、監督がいい、共演者がいい、全ていい」「今回の親父像は、息子にとって価値のある壁になっている。もしかしたら、秀吉は世の中への憎悪をエネルギーにして生きてきたのかもしれない。それは悲しいことだけど、結果的には強い親父が成立して素晴らしい家族を構成していると思う。深いところで結ばれている親子というのを大事にしたい。」

大竹「展開のスピード感やテーマが重くてもさらりとやってしまうところがいいと思う。母親の愛や家族愛、今の日本に少ない関係が気持ちいい。」 

(シネマストリート)

監督インタビュー
10歳の頃、僕には親友がいました。彼は身体が大きくて運動ができて、クワガタ取りが得意な、僕にとってのスーパーヒーローでした。

ある日、地元の有力者の息子の誕生会があってクラス全員が呼ばれていました。「一緒に行こうよ」と彼に言ったら、「お父さんと釣りをするから」と彼は行きませんでした。

誕生会でその親友が「朝鮮人だから」という理由で呼ばれなかったことを知った僕は頭にきて途中で帰りました。親友がいる川へ向かうと彼は一人で釣りをしていました。「お父さん、来れなくなったんだ」と言ってたけれど、親友はすべてを知っていたんだと思います。

(中略)
それからしばらくしたある日、彼から「鴨を捕まえに行こう」と誘われました。鴨を剥製にすると高く売れるとどこからか聞いてきた彼は、売ったお金で一緒に街を出ようと言いました。僕の分のパチンコ銃もこしらえてくれたのですが、約束していた日、僕は用事が入ってしまって行かれなかったんです。

それが最後になりました。

親友は、鴨を捕りに行った湖で水難事故に遭って死んでしまったのです。詳しい死因はわかりません。でも、親友のことはずっと僕の心に突き刺さっていました。

監督になって『GO』という小説の映画化のオファーがありました。主人公は在日の青年で「国境線は俺が消してやるんだ!」と叫ぶスーパーヒーローです。小説を読んだ時、「この作品に出会っていたら親友は死んでいなかったんじゃないか」という思いが出てきました。この話をちゃんとしたかたちで映画化すれば、励まされる人、支えになる人がいるかもしれないと。
(ビッグイシュー日本版246号「私の分岐点」)

窪塚インタビュー
俺、山﨑さんと『GO』って映画で一緒だったんですけど。
山﨑さんから、「おまえ、手ェ抜いてんのか。本気で、100の力で殴ってこいよ!」って言われて。監督に「どうしたらいいっすかね?」って相談に行ったら、「窪塚くん、がんばって!」と。

いや、本気でこいって言われても、なかなか本気でなんか殴れないんですよ。怪我しちゃうかもしれないし、また「本気じゃねぇだろ!」って怒られたくないし、キ○タマはブン殴られるし、ギリギリのとこでやってる感じで。

で、ぜんぶの撮影が終わったとき、山﨑さんから「おまえ今すぐ役者やめろ、窪塚」って言われたんです。役者やめろって言われた約束(笑)意味わかんなかったんで、「そんなにダメだったですか、俺」って訊いたら、「いや、そういう意味じゃなくて、おまえはいいから、このあたりで、一回、休んどけ」って。

次の『凶気の桜』ってやつで原田芳雄さんと一緒だったんですが、原田さんからは「とにかく、いっぱい出とけ」って。

でも、そんとき俺は「あ、同じこと言ってくれてんだな」って思ったんです。ふたりとも「自分を見つめろ」って言ってくれてんだなって。
(ほぼ日刊イトイ新聞 インタビュー)

窪塚トークイベント
「出演した当時は、在日韓国人ではない自分があの役を演じることへのプレッシャーをすごく感じていていました。同じ境遇の仲間も居たので、魂があるように見せるのがとても大変でした。そう言った中で『自分とはなんぞや?』と自分自身に向き合い、深く掘り下げた時、胸を張ってあの作品を世の中におくり出すことができました。

『ピンチはチャンス』ってよく言いますが、まさにマイノリティであることを逆手にとって、世の中を恨まずに自分自身のまま生きていくことができたんじゃないかな。

今この時代で起きている“偏見”や“マイノリティ”について、これも思うようになったのは『GO』がきっかけかも知れない。僕ら地球人は宇宙船『地球号』の乗組員で、宇宙からみたらみんな仲間。やっぱり幸せになりたいと思う気持ちはどの国の人、どの宗教の人も一緒だと思う。宇宙から見たら仲間じゃんという気持ちが強く来ているので、みんなそう思ったらいいなと感じています。
(『ブラインドスポッティング』トークイベント)


おまけ
冒頭のグレートチキンレースの撮影場所が見つからず(断られていた)奔走していたところ縁あって、神戸にある市営地下鉄の上沢駅で撮影が実現。
(神戸学校 講演会)

オーディション参加者の中に斎藤工がいた
(真夜中の映画祭)

溝端淳平がこの作品から大きな影響を受けたと語る
(雑誌の映画紹介コーナー)