美輪明宏 赤木圭一郎と愛の讃歌

『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」天才はいかにして出会ったのか』佐藤剛著　抜粋

若き映画スター赤木圭一郎の死

だが丸山明宏に思いもよらぬ出会いと喪失の季節がやって来る。1961年2月14日、日活の若き映画スターとして人気が急上昇していた赤木圭一郎が、調布の日活撮影所で映画『激流に生きる男』を撮影中、昼休み時間にゴーカートを運転していて、60キロ以上のスピードで鉄の扉に激突したのだ。頭を強打して意識不明になった赤木は、すぐに近くの慈恵医大病院に緊急入院したが重体となった。

撮影所の中を走り始めてすぐに運転を誤ったのは、ブレーキとアクセルを踏み間違えたからだろうと言われている。クルマの運転が得意だった赤木だが、ゴーカートには慣れていなかった。ゴーカートのブレーキとアクセルは乗用車と逆の位置に付いていた。

かつてジャズ・ミュージシャンだった知り合いが持ってきたゴーカートは、歌手のかまやつひろしと一緒にゴーカートクラブを作ることになったので、試乗のために持ってきてもらったものだった。二人はじゃんけんで順番を決めて、買った赤木が先に乗って事故が起こってしまった。

赤木は意識不明のまま、病院で危篤状態が何月も続いた。

新宿に住んでいた丸山明宏は、事故が起きる4、5か月前に、ときどき顔を出して3丁目にある「ふくわ」というバーで、偶然に赤木と知り合っている。映画関係者や作家などの常連客が多いその店で、カウンターに座っていた先客の赤木を馴染みのバーテンに紹介されたのだ。赤木はそのとき、21歳の大学生だったが、次々に主演映画は封切られてスター街道を邁進中だった。「僕はあなたが出ている映画を妹と一緒に観に行きました。とても良かったです。」と言われた出逢いのきっかけにも、映画『永すぎた春』が関係していた。

丸山明宏はその日、上野まで出かけて借金しに行ったが、断られて気落ちしていたところだった。そこには芸能界から忘れられつつあった自分のことを、赤木は映画で観て好印象を持っていてくれた。話をしてみると若いのにカフカやバルザックを読む、繊細な文学青年だということがわかって、そこから意気投合した。

テレ屋かと思えば大胆になり、無口かと思えば饒舌になる。陰気なようだと思っていると、手のひらを返したように陽気になったりする。芸能人らしさが微塵もない、純粋な少年のような印象だったという。

2人はその晩、赤木のクルマで横浜の山下公園までドライブに行った。

横浜へ着くまで、海が好きなこと、家族を愛していること、ブラジルの方へ住みたいこと、兄貴はスペイン人だということ(これはちょっと可笑しな話だが)そんなことを喋り続けてくれる。

優しい思いやりの深いひとだな。私の沈んだ心を慰めようとしてくれる。心遣いが、ひたひたとさざ波のように感じられる。（美輪明宏『紫の履歴書』）

ハリウッド・スターのトニー・カーチスに似ていることから、「トニー」という愛称で呼ばれた赤木は、西洋的な風貌や孤独をたたえた雰囲気が、日本人のスケールを超えていると言われていた。演技云々ではなく、はじめからスターとしての華があり、スクリーンから圧倒的な存在感を放っていた。1959年の鈴木清順監督『素っ裸の年令』で初主演した後、『拳銃無頼帖』シリーズなど14本ものアクション映画に主演し、将来性を嘱望されていた。したがって、同性愛者と蔑まれてる丸山明宏と交際している事実が、万が一にでも世間に知られたら大きなスキャンダルになる。二人は徹底して秘密裡に交際していた。

自分も相手も顔を知られすぎているので、電話で連絡を取り合って赤木の運転するクルマでドライブした。そして横浜や湘南海岸に行って、人気のない公園や海で話をする、そんな付き合いだった。

葉山へ向かう。仕事の話になる。

「私は落ちぶれたって、週刊誌が書いてたっけ。あはは・・・」

私は自嘲の笑い声をあげる。

「みんな知らないんだよ。大丈夫ですよ。いまによくなりまよ。必ず素晴らしい、みんなが吃驚するような芸術家になりますよ。だって、それだけのものを持っている人なんだもの。僕には自信を持って言えるな・・・。でも早く良くなるといいですね。」（同前）

親しくなっても敬語が抜けきれず、いろいろな言葉をごちゃ混ぜにしながら、むきになってほめてくる。大人っぽい人。彼のさまざま親切心と愛情の模様が万華鏡のように美しい。（同前）

そんな赤木が意識不明の重体で、生死の境をさまよっている。それなのに、丸山明宏は病院に見舞いに行くこともかなわない。毎日々々、一般のファンのふりをして病院に電話をかけて、病院を訪ねて心配するしかなかった。そして仏壇の前で祈り続けて6日目、2月20日になって「どうやら落ち直しそうです」と言われて、ほっとして嬉し涙にくれたという。

ところが翌朝、目がさめてラジオをつけると、死亡したというニュースが流れたきた。前頭骨亀裂骨折に伴う硬膜下出血が死因だと報じられた。それを聞いて丸山明宏はふらふらと玄関を出て、アパートの高い階段から飛び降りようとしたという。だが我に返って部屋に戻り、仏壇の前に崩れるように座った。そして力無くお経をあげたとき、その日が自分の実母の命日だったことに気がついた。

「愛の讃歌」が歌えるようになってから死ねばいい

閃光のようにスクリーンを駆け抜けた赤木の死は、1961年の芸能界におけるもっとも大きな事件のひとつだった。将来の大スターを突然、奪われてしまった悲しみの余波がいつまでも続き、空前の”トニー・ブーム”で写真集やレコードが売り上げを大きく伸ばした。

マスコミは赤木の死の直後から「和製ジェームズ・ディーン」と呼ぶようになった。『エデンの東』『理由なき反抗』『ジャイアンツ』と、名作に立て続けに出演したアメリカの若き映画スター、ジェームズ・ディーンが愛車ポルシェを運転中の衝突事故で1955年に亡くなって伝説になっていたのである。

誰にでも顔が知られている丸山明宏は通夜にも葬式にも行けなかった。見つかれば必要以上に騒がれることがわかっていた。そうなったらマスコミに何を言われるかわからない。自分が悲しみの底にいることを、周囲にも感づかれないように注意した。ふだんと同じであるためには、銀巴里でのステージも休めなかった。だが、それからしばらくの期間は、悲しいのを通り越して虚脱状態に陥った。ステージに立っている時に、「あれ、自分はどこにいるんだろう」と思ったことも度々あった。歌にも集中できず、ときどき歌詞が分からなくなった。とくに「愛の讃歌」の歌詞を、なぜか間違えてばかりいたという。

深い悲しみから一向に立ち直れない状態から、酒浸りになって歌うことさえも苦しくなってきた。自暴気味になった丸山明宏はとうとう三島由紀夫に電話して、恋人が亡くっなったことを打ち明けた。

「私も死にたいんです。いちばん美しく、楽な死に方を教えてください。」

三島は明宏をからかうように言った。

「海に飛び込むのもいいが、そうすると海水が汚染して迷惑だから、いっそのこと、首をくくって鼻汁でも垂らしたらどうだい」

しかし、普段だったら間髪入れず、小癪な切り返しをしてくるはずの明宏が黙りこくっている。三島は沈黙する明宏を大声で一喝した。

「どうしたんだ。きみ、本気なのか！この馬鹿！女学生みたいなこと言うんじゃないぞ！」

明宏は泣きじゃくりながら胸中を明かした。

「恋人が死んでから『愛の讃歌』を間違えてばかりいるんです。歌手の私が手慣れたはずの歌を満足に歌えないなんて、こんな悲しいことがありますか？私から歌をとったら、もう何も残らないんです。生きていても仕方ないでしょう。」

だが、三島は、明宏の泣き言に対して同情を示すどころか、毅然としてこう言い放った。

「そうか、それなら死ねばいい。しかし『愛の讃歌』がまともに歌えるようになってから死ねばいい。悔しかったら、完璧に歌えるようになってみろよ」（豊田正義『オーラの素顔』）

その言葉で我に勝った丸山明宏はようやく、少し落ち着きを取り戻すことができた。そして翌日からは「愛の讃歌」の歌詞を、間違えずにうたえるようになった。だが完璧にうたえるようになるのは容易なことではない。ふたたび自分の表現力を磨いていく日々に戻っていった。

偶然に知り合った赤木の妹の案内で、神奈川県鎌倉市にある墓を訪れることができたのは、それから3年後のことだった。さらに10年以上が過ぎて、美輪明宏は黒柳徹子のインタビューに答えて、初めて当時の心境を明らかにしている。

美輪：付き合っていて、そのうちに惰性になって密度が薄れた時に死んだんじゃなくて、密度がいちばん凝縮している瞬間に死んじゃったから、トニーは永久に私の中の生きているんですよ。トニーは30歳になったら、ブラジルに行くって言ってた。映画祭で行って、素敵なとこを見たんだって。一緒に行こうと言うから、「向こうでなにをすればいいの？」って聞いたら、「君が働くのは、ぼくは好きじゃない。家にいて本でも読んでて、ぼくが帰ってきたら、いろんな話をしてくれるさ。」って。

黒柳：可愛いのね。私、泣いちゃうわ。

美輪：「話をしてくれるさ」って言うところが子供なんだね。生きていたら、きっと一緒にブラジルに行ってたよ。（「詩の特集」）

赤木の遺作となった映画『激流に生きる男』は、外国航路のブラジル丸に乗って南米に行くはずだった主人公が、船体の修理のために出港が延期になったことで、横浜に足止めされている間に事件に巻き込まれる物語である。主人公は元ボクサー、ヒロインの兄夫婦がリオデジャネイロに住んでいるという設定だった。

「映画俳優をやめたらブラジルに住みたい」と、赤木は当時の取材などでも語っていた。赤木にとってブラジルは、いつか行きたい憧れの場所だった。しかしそれは永遠に叶わない。見果てぬ夢となってしまった。

そして赤木圭一郎との死別は丸山明宏にとって、いつかは乗り越えなければならない壁になった。その壁の高さへの挑戦が、「愛の讃歌」を完璧に歌える表現者になるための、大きなモチベーションとなっていく。

死者に捧げられた無償の愛

プロボクサーだったマルセル・セルダンはある日、パリの酒場でうたっていたエディット・ピアフと出会った。初めからお互いに惹かれあった2人の恋が、不倫と騒がれながらも大恋愛に発展し、新聞などに取りあげられていくなかで、ピアフはセルダンのために相思相愛の歌を書いた。それが「愛の讃歌」である。

世界ミドル級チャンピオンだったセルダンは1949年6月、アメリカのジェイク・ラモッタとの初防衛戦で、試合途中に肩を負傷して棄権10回TKOで王座を奪われた。その後、雪辱を期すセルダンの希望をラモッタが受け入れたので、ニューヨークでの再戦が決定した。セルダンは10月28日、パリから空路で決戦の地であるニューヨークに向かった。しかし搭乗した飛行機が北大西洋に墜落し、不帰の客となってしまった。

セルダンは当初、航路で行く予定にしていた。だがニューヨークのナイトクラブ「ヴェルサイユ」に出演していたピアフから、「早く会いに来て」と言われて飛行機を選んだ。そして事故に遭ったのだ。

ピアフは親友の女優、マレーネ・ディートリヒと2人でセルダンを空港で出迎える予定だった。ドイツ生まれの世界的な大女優だったディートリヒは、14歳年下のピアフを可愛がっていて庇護者のように世話をしていた。「ヴェルサイユ」に出演中は衣装の着付けを担当し、公演後も夜は一緒に過ごして話し相手になっていた。

事故の一報はまずディートリヒに入り、彼女からピアフへと伝えられた。ピアフは自分の言葉によって恋人が事故に遭い、亡くなったという事実を知らされて激しい衝撃に襲われた。ピアフを心配したディートリヒは、その夜の公演を休むようにと勧めた。しかしピアフは舞台に立つと言った。そのときに「愛の讃歌」だけは歌わないほうがいいとディートリヒが助言したのは、歌詞の激しさを心配したからだった。

そしてやがて時が訪れて　死があたしから

あんたを引き裂いたとしても　それも平気よ

だってあたしも必ず死ぬんですもの

ピアフはその夜、最初の曲を歌う前に客席に向かって、「今晩、私はマルセル・セルダンのために歌います。誰のためでもありません。彼のために歌います」と言って歌い始めたという。その夜の「愛の讃歌」を、ピアフはかつてなく感動的に歌い上げたと、ディートリヒは自伝のなかで語っていた。

「愛の讃歌」がたどってきたそうした歴史を調べていて、丸山明宏との関わりで頭の中に浮かんできたのは、7年前に突然の事故で亡くなった赤木圭一郎のことだった。そこから”「愛の讃歌」がまともに歌えるようになってから死ねばいい”という、三島由紀夫の発言にも思い当たった。

赤木が不慮の事故で亡くなったとき、丸山明宏は悲しみの底から抜け出せなくなり、「愛の讃歌」の歌詞を間違えてばかりいたのだった。しかし三島由紀夫の言葉が救いになって、何とか立ち直ることができた。そこから7年間という月日を積み重ねて、「ヨイトマケの唄」で第一線に復活し、表現の場を演劇にまで拡げてきた。そして渾身の思いを込めて、「愛の讃歌」をうたえる晴れの舞台に立ったのだ。

そんな記念すべき日に「愛の讃歌」を聴いてほしかったのは、天に召された赤木だったのではないだろうか。

そのとき2月21日という日付が赤木と、どこかで関係していたような気がしてきた。期待と不安のなかで確認してみると、1961年2月14日にゴーカートで事故を起こした赤木が、1週間の危篤状態が続いたまま、祈りむなしく亡くなった日付だった。

それがわかった瞬間、リサイタルでうたわれた「愛の讃歌」は、21歳の若さで亡くなった赤木の魂に捧げられたものだったと、そう思わずにはいられなかった。

壮大な人間ドラマとして「愛の讃歌」をクライマックスに歌う「第八回丸山明宏リサイタル」は、赤木の命日だった2月21日に開催されていた。そのことを考えていると、オープニングに演奏された「ブラジル組曲」が、にわかに特別な意味を持ち始めてきた。

赤木は子供の頃から海が大好きで、ずっと船乗りになりたかったという。そして出世作となった映画『霧笛が俺を呼んでいる』で船乗りを演じて、それからはマドロス姿がもっとも様になるスターと言われるようになった。亡くなる半年ほど前の雑誌にも、こんな素朴な夢を語っていたのである。

中南米へ行きたい。そこで、土地を耕して食べるだけのものがあればいい。着のみ着のままで、あらん限りの生命力をぶつけてみたい。（サンデー毎日）

亡くなる前の年に結成したハワイアン・バンド、”エル・ブラザーズ”の仲間で、下宿先も一緒だった俳優の杉山俊夫は、「ほんとは俺、こんな仕事するよりも船に乗ってブラジルやサンパウロなんかに行きたいんだ」という話を赤木からよく聞いていた。

赤木が事故で亡くなる前に撮影していた映画『激流に生きる男』の主人公は、元ボクサーだが強要された八百長を断って襲われ、正当防衛で人を殺してしまった過去を持つ男という設定だった。船員になった男は貨物船「ブラジル丸」へ乗って南米へいく予定だったのに、船がドック入りのために横浜に足止めされるという物語のなかで、ブラジルは行きたくとも行けないところの象徴だった。

オープニングに演奏された「ブラジル組曲」には、赤木の叶わなかった夢が託されていたと考えられないだろうか。そう思ってふたたびテープの音源を聞き直してみると、聴けば聴くほどに「ブラジル組曲」から感じられた生命力、青年のような瑞々しい躍動感、全体に流れているリズムが、少年の純粋さを失わなかった若者、赤木の人生そのもののように思えたのだ。これが偶然のはずがない。

実際、このリサイタルから7年後、美輪明宏は黒柳徹子のインタビューに答えて、「生きていたら、きっと一緒にブラジルに行った」と、赤木のことを打ち明けていたのである。

対外的には一切が秘められたままだった赤木への思いが、オープニングテーマという形になって演奏されたとすれば・・・？

そう考えると三島由紀夫の言葉を起点にし、中村八大の音楽の力によって、赤木圭一郎に捧げられることで、究極の「愛の讃歌」が歌われていたことになる。「愛の讃歌」を完璧にうたうという目標と、新しい日本の歌を作るという夢と希望を持って始めた「丸山明宏リサイタル」は、どちらもこの日に頂点をきわめて完成に至ったとみることができる。

自伝『紫の履歴書』出版を区切りとして

『黒蜥蜴』に続く松竹名作路線の公演として、第二回公演ジャン・コクトー作『双頭の鷲』が1968年10月に上演された。これは監修は三島由紀夫で、演出は松浦竹夫だった。約1か月の公演が終わった後、千穐楽のパーティーが港区麻布の霞町にあったアマンド会館で開かれた。そこには三島由紀夫が出席していたが、丸山明宏は当時のことをこう振り返っている。

その席に三島先生もみえたのね。私は『愛の讃歌』と『ミロール』を歌ったの。歌い終わって席に戻ると松浦竹夫さんがよってきて、「おい、三島さんが泣いている。」そうおっしゃるのね。

先生が人前で泣くなんて、今までないことでしょう。みんなびっくりして、どうしていいかわからないんです。だって、先生は目にいっぱい涙をためて、柱のそばの壁にもたれて、お酒をのんでいるんですもの。

私がそばに行くと、「あんなに感情をこめて『愛の讃歌』を歌えてよかったな。赤木君の死は、君を育てたんだよ」

先生は、そうしみじみと話されたの。なにか返事したいと思うんだけど、話せば涙になりそうで、私は、必死におし黙っていたんです。

「とにかく。偉いよ」

（週刊ポスト）