桜子と冬吾の心の揺れ動きがとても好きなんだけど。この気持ちを原案『火の山』のような言い方で表すとすれば、世間的にはイナプロピエイト(不適切)かもしれない。けど、人は変わらないことと変わっていくことその両方を常に持っていて。桜子にとって変わらないこと、それは「達彦へのおもい」で、変わっていったのは「冬吾へのおもい」だと思ってる。
達彦の不在で彼の存在が遠くにあるように感じているだけで、彼を大切に思う気持ちはずっと変わらずにある。ただ、孤独や喪失感でどう生きていいのかわからなくなったとき、冬吾の優しさに触れて、これまで抱いていた尊敬とは別の新しい感情が生まれた。
これは距離や時間がそうさせたとも捉えることができる。もし、達彦が出征せずにそばにいてくれていたら、もしくは彼がまだ生きていると信じられる明確な何かがあったら、達彦だけを好きでいたと思う。桜子は元来、とてもまっすぐな人だから。
しかし、達彦は激戦地に送られて部隊がほぼ壊滅状態だと知らされ、遺書ともとれるような手紙をもらっているわけで。それでもかねがいたから達彦はまだ生きていると信じられた。でもそのかねも亡くなり、結局は山長も妹夫婦に譲り渡してしまった。自分にはもう何もないと空虚な思いに苛まれるには十分すぎる状況だと思う。
そんな桜子の前に現れ、そばにいてくれたのが冬吾だった。苦しい心境にあり、ピアノを遠ざけようとする桜子を励ましてくれる。

川べりのシーン「私の人生はどこにあるって。ちゃんとここ(音楽)にあるんでねえか。おめえの泣いた顔は何んべんも見てきたからな。東京の音楽学校に落ちた時も泣いたっけか。んだどもあの時だっておめえは次の日には涙拭いて立ち直ったな。おめえは強い強いおなごだ。俺はわかってるはんで。」119話
彼女の心に寄り添った冬吾の言葉に強く胸が打たれたと思う。私も同じようなことを言われた経験があるから、この言葉に桜子がいかに心救われたかが、少しだけ理解できた。こんなこと言われたら泣いてしまうよね😭
ちょっと長くなってしまったけど、私がここで何を言いたいかと言うと、冬吾への気持ちに変化が訪れる背景には、桜子の身に起こるいくつもエピソードの連なりがあるということ。決して軽はずみに始まったわけではない。だから、私は桜子が冬吾に惹かれていったことを自然な人間の感情として受け止めることができた。
笛子たちの幸せを見守ろうと決めた桜子も、達彦に正直に話したことも、達彦が静かに受け止めれてくれたことも、冬吾が家族を大切に思う気持ちも、「Tに捧ぐ」という曲も、私は全部好きだよ!